移住者の声
佐久穂町に移住した
人々の声。
Voice01浅見満さん
- PROFILE
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- 仕事
- 農家 冬は炭焼き
- どこから
- 千葉県→佐久穂町
- 移住時期
- 2003年
- 家族
- ご夫妻とお子さん2人
なぜ佐久穂へ
公務員として働いている時に「この仕事がやりたいことなのかな」と思いながら働いていました。そんな時に新潟県に住んでいるおじいちゃんが肺がんになり、自宅療養をしていたのですが「畑に行きたい」と言って、やせ細って歩くのもしんどいはずなのに、畑に向かっていったんですよね。そこまでしておじいちゃんを動かす農業の魅力って何だろう。と考えるようになり、自分の心境と相まって農業に興味を持つようになりました。それからというもの、農業に関する本を読んだり、近所のおじいちゃんに話を聞いたりして、農業に歩み寄ることでさらに面白い世界だなあと感じ、そこに携わっている人たちがますます輝いて見えました。やって来たことが成果として目に見える仕事に憧れがあったので、就農への想いが強くなりました。
就農場所を調べていると、佐久穂町で農業で起業した横森正樹さんの本に出会い、横森さんに会うために初めて長野県に行きました。その時に見た景色は今でも覚えています。最寄りの八千穂駅に降りて、軽トラックで山の方に上がっていくと空は遠いのに山がすごく近いことに驚きました。
就農まで
横森さんに言われたことは「独立して農業をやるならパートナーがいた方がいいぞ」といわれたので、3月から11月は横森さんの下で研修をして、冬は千葉の地元にあるコンビニのおにぎり工場で働きながら出会いを探していました。1年目は納得のいくレベルに達せず、2年目は求められるものが高くなり、3年目を終えたころで横森さんに「どうするんだ(農業を本気でやるのか?)」と言われ、「やりたいです」「よし、お前なら面倒見るぞ」といってもらいました。認めてもらえたけど、パートナーはまだ見つかってないぞ(笑)と思いました。
独立
独立に向けて、空き家や畑を借りるために横森さんが交渉をしてくれました。また、アドバイスによりサニーレタスから始めたのですが、1・2年目はそこそこうまくいったのですが、3年目に相場がドボンと下がってしまいました。そこからは、サニーレタスだけでなく、レタスも作るようになりました。そうやって工夫をしたり、毎日自分で判断することで自分のものになっていく感覚がありました。5年目くらいまではおんぶに抱っこという感じでしたが、だんだん自分のやり方で出来るようになってきました。
農家として11年目を迎えて
今では午前2時に起きて、仕事を始めて途中6時に畑で朝食を食べ、9時までに出荷を終える。11時からお昼休みをして、午後の作業は17時から19時までには家に戻って、家族と夕食を食べるようにしています。
この町のいいところ
佐久穂町のいいところは、田舎でも都会でもないところ。色んな方面の人と知り合い、繋がることができます。例えば炭焼きをきっかけにおじいちゃんと仲良くさせてもらっています。