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Voice03小林守正さん

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開業希望の移住者に空き店舗を紹介

「GURURITO」にて

「GURURITO」にて、共同経営者の藤森隆さん(右)、平野卓さん(中央)、平野未希さん(左)と語らう小林さん

JR小海線の羽黒下駅から海瀬駅方面へと続く通りにある東町商店街は、大正から昭和初期にかけて大変賑わい、「東信州の上海」と呼ばれたことも。しかし車社会の到来や景気の後退と共に人の往来が減り、いわゆる「シャッター商店街」化が進んでいました。

そんな商店街に、ここ数年で新たな風が吹き込んでいます。古い建物をリノベーションし、新しい店やコミュニティ・スペースとして開業する移住者が増えているのです。

職人に教わりながら、自分だけのアクセサリー作りができるジュエリー工房「GURURITO」もそのひとつ。かつて洋品店だった店舗をDIYで再生し、2021年にオープンしました。結婚指輪を手作りするカップルなど、県外からもお客さんが訪れています。

共同経営者の藤森隆さんは、子どもの大日向小学校入学を機に東京から移住し、「佐久穂町でジュエリー工房を開きたい」と考えていました。そんな藤森さんに、空き家になっていた物件を紹介したのが、近くで花卉農家を営む小林守正さんです。

小林さん:「もう亡くなったんだけど、俺の同級生がここで洋品店をやってたの。その奥さんのところに行って、藤森君の話をしたんだよ。そしたら『息子に聞いてみて』って言うからすぐに電話してさ、『貸してくれ』って。『小林さんの紹介だったらいい』とその場で返事をくれました。それで『藤森君、いつから借りる?』って聞いたよね(笑)」

この物件にはあちらこちらから問い合わせがあったものの、全く知らない人には貸したくないというのがご家族の意向でした。小林さんの紹介がなければ、GURURITOの開業はもっと先になっていたかもしれません。

町の合併のタイミングで議員に

藤森さんは、「ジーバ共和国」で小林さんと知り合いました。これは、小林さんが佐久穂町の議員をしていた10年ほど前、町の活性化に取り組む「アンテナさくほ」の力武文雄さんらと一緒に始めたコミュニティです。姉妹都市である東京都府中市の子どもたちに田植え体験をさせたい、という声があがったのがきっかけでした。現在は町への移住者を中心に8家族ほどが、町のベテラン農家たちに農作業や漬物作りなどを教わっています。

小林さん:「なんで『ジーバ共和国』かっていうとね、東京から遊びに来た子どもたちに、『俺らは田舎のジジとババだぞ』って言ってたの。そこから『ジーバ共和国』って名前を付けたんだよ。共和国だから、リーダーは『大統領』って呼んでね(笑)」

小林さんが町議会議員を務めたのは2017年までの12年間で、最後の4期目には議長の大役も果たしました。

1期目の始まりの2005年は、旧八千穂村と旧佐久町が合併して佐久穂町ができるというタイミング。地域の転換期に、「俺にも何かできることがあるんじゃないか」と考えて立候補したそうです。その際に町内全域に足を運んで住民の話を聴いてまわったことが、「いい勉強になった」と振り返ります。

小林さん:「地区によってそれぞれの課題があって、『小林さん、議員になったらあれやってくれねぇか』『これやってくれねぇか』っていろんなこと言われるわけ。俺が決めるわけにはいかないから、とりあえずメモを取ってね。それをずっとやっていくと『ああ、町は今、こういう状態になってるのか』と分かってきたんだよ」

移住者を呼び込んだ「ジーバ共和国」の活動

耕作放棄地や空き家の増加など、高齢化による地域の担い手不足の問題を実感した小林さんは、「ジーバ共和国」の仲間と一緒に町への移住促進の活動に力を入れました。

小林さん:「東京に『銀座NAGANO』っていう長野県の拠点があるでしょう。あそこでジーバ共和国の初代大統領や力武さん、町役場の職員と一緒に移住相談の窓口を開いたこともあります。上田市、小諸市、佐久市、小海町に佐久穂町、それぞれテーブルを並べて地域の紹介をしたんです」

訪れた人たちの多くは、長野県には興味があっても佐久穂町のことは知らなかったでしょう。それでも、小林さんたちとの出会いをきっかけに町への移住を考える人が出てきました。

小林さん:「その後、町を見に来てくれた家族がいてね、ジーバ共和国のメンバーで町を案内して回ったんです。お子さんが3人いて、1人は翌年度から中学校、もう1人は小学校に上がるということでした。ちょうど佐久穂小中学校がこれから開校するという時で、学校が見下ろせる秋葉山に登って、『左側の建物が小学校、あんたが行くところ。右側が中学校で、あんたが行くところだよ』なんて冗談を言ってね。そうしたら、後日そのご家族が移住することになって。子どもたちが『あの新しい学校に行きたい』って言ったのが決め手になったと聞きました」

トルコギキョウを町の「第4の花」に

小林さんが議員になる前の経歴は非常にユニークです。測量士として会社に勤めていた30代後半のときに声がかかって小海町開発公社に転職し、新しいゴルフ場(現・小海リエックス・カントリークラブ)の環境影響評価を担当しました。無事開業が決まると再び請われ、そのゴルフ場の初代グリーンキーパー(芝の管理者)として働きます。

40代にして初めての仕事に挑戦することになった小林さん。朝露の付き具合で芝が健康かどうかを判断するため、毎朝、軽トラックで芝の様子を見て回ったそうです。

それから10年ほどして、今度は佐久町(現在の佐久穂町)にできるゴルフ場のグリーンキーパーをしてほしいと頼まれ、再び転職。佐久リゾートゴルフクラブのグリーンキーパーや支配人、営業の仕事をしました。

その後55歳でサラリーマンを辞め、小林さんは花卉農家になることを決めます。最初はカーネーションを作りましたが、議員になってからトルコギキョウの栽培を始めました。町の特産品である菊、カーネーション、アルストロメリアに続く第4の花を定着させたい、という考えからでした。

第4の花として適した花を農協に相談すると、トルコギキョウを勧められ、周りの農家にも広げてほしいと言われたそうです。

頼まれれば断らないのが小林さん。議員仲間の農家に声をかけ、自分も含めて4人の農家がトルコギキョウの栽培を始めました。するとその噂が町外にも伝わり、佐久市からも「会社を辞めて農業やろうと思うんだけど、自分にもトルコギキョウできるかな?」といった相談が来るように。佐久穂町や近隣エリアにおいて、3年間で24軒もの農家がトルコギキョウを作り始めたそうです。

小林さんのハウスでは、トルコギキョウが咲き誇る

小林さんのハウスでは、トルコギキョウが咲き誇る

まずは自分の集落に慣れて

「あらためて人生を振り返ってみたら、落ち着かねぇ人間だなぁ」という小林さんですが、初めてのことにも熱心に取り組みしっかりと結果を出す様に、周りの人たちもつい色々なことをお願いしたくなるのでしょう。議員を退任後も、小林さんは町の区長会の会長や男女共同参画委員の副委員長など様々な役割を担ってきました。現在は佐久穂町農業委員会の会長を務めています。

町を知り尽くしている小林さんに移住者へのアドバイスをお願いすると、「まずは自分の集落に慣れること」という答えが返ってきました。

小林さん:「議員になるときに各集落に行って一軒一軒回ったら分かったけど、それぞれ違うんだよ。商店街の集落と農家ばっかりの集落と、サラリーマンがたくさんいる集落とでみんな違うから、一概に『こうしなさい』とは言えないよ。だから、まずは自分が住む地区の人たちと交流することだと、俺は思うよ」

交流のきっかけは、道水路普請や公民館の事業など多々あります。そのような集まりがないときでも、「朝会えば『おはよう』って誰でも言うからね。まずは挨拶すれば、間違いないよ」と笑顔で教えてくださいました。

町の人の声一覧

  1. 中島花キ園芸 中島和輝さん・智加さん

  2. 大栄建設 三石博明さん・ふじ江さん・ 庄司紀子さん

  3. 小林守正さん