木版画家 宮田 三郎

木版画家宮田三郎は、長野県北安曇郡美麻村に生まれた。1950年頃から創作活動を始める。日本各地を旅行して、その風景のスケッチ画を描き続けた。1960年代後半から、日本各地の風景スケッチ画や水彩画をもとにして、宮田流の版画の創作が始まる。1984年に紺綬褒章を受章したあたりから円熟味が増して、多くの木版画作品が創作された。全国で個展が開催され、木版画作品は多くの人の目に触れ、購入された。佐久地方の風景に魅せられた宮田画伯は、度々佐久の地を訪れて作品を創作した。特に佐久穂町で個展や版画教室を開くなど意欲的に活動し、2006年には、「佐久穂町名誉町民」として表彰を受けた。その7年後の2013年に89歳で逝去し、第二の故郷として愛した長野県佐久穂町に永眠している。
宮田三郎画伯と、彼の甥である宮田篤氏により、約2,200点の木版画と、総数2万点を超える版木、スケッチ画、水彩スケッチ画、版画原画、油彩画、制作資料が佐久穂町に寄贈された。彼の作品は、佐久穂町生涯学習館「花の郷・茂来館」にて常設展示しているほか、年に1回の大規模展を開催している。細密な水彩原画から色を減じ、線を減じて極限まで浄化された木版画のファンは多く、大規模展覧会には全国から人が集まる。また佐久穂町大日向の龍興寺の墓地を訪れるファンも少なくない。

宮田三郎 年表

1924年5月15日 長野県北安曇郡美麻村(現大町市)に生まれる。
1945年~1947年

長野師範学校(現信州大学教育学部)卒業。
教員となるが、病気のため退職する。

1950年~1960年

創作活動を開始する。
「一水会」「日水会」「日版協」「日展」に作品を出品する。

1957年~1967年

版画教材「エッチングボード・カラーボード」を発明し、世界美術教育会議に紹介される。
東京版画研究所を創設する。
全国の小中高の美術指導者に版画講習を行い、教育版画の基をつくる。

1959年~1967年 病気と火災により、作品の発表を休止する。
1967年~1968年 染色版画「九州編」、木版画「京都編」を創作。
1970年~1984年 日本各地を巡り、主要風景を版画にした木版画425景を発表。
1984年 紺綬褒章を受章。
1986年~1987年 「祇園の舞妓」前・後編(三十一景)を発表。
1987年 自選句集『仏 仏』発刊
1988年~2001年

「創作日本の四季」「野の花山の花(前後編)」
「日本の風景 水景」「雲のある風景」などを発表。

1999年 版画発表三十周年記念展を開催する。
1970年~ 三越など全国の百貨店などで400回近く個展を開催。
1991年 自選句集『朝顔日記』発刊
1993年 自選句集『ときどき』発刊
2006年9月 佐久穂町への木版画寄贈・教育普及などの功績が認められ、「佐久穂町名誉町民」となる。
2013年11月20日

逝去(享年89歳)。
佐久穂町大日向龍興寺の墓地に眠る。

「花の郷・茂来館」メリアホールの緞帳に採用された宮田三郎作木版画「秋の浅間山」

宮田三郎作木版画 佐久穂町秋葉山より眺めた佐久穂の街並みと浅間山

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